ミネソタ・アンド・パシフィック鉄道
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「グレート・ノーザン鉄道」の記事における「ミネソタ・アンド・パシフィック鉄道」の解説
ミネソタ・アンド・パシフィック鉄道(M&P)が計画された当時、沿線は未開発の原野であった。ミネソタはいまだ準州であり、人口はセントポールとミネアポリス付近に集中していた。M&Pは設立は、のちに「世界の穀物倉庫」となるミネソタ地域の開拓鉄道的な意義が込められていた。特許されたルートは、スティル・ウォーターから西に向かい、セントポール、セント・アンソニーを通ってレッド川畔のブレッケンリッジに至る本線と、途中セント・アンソニーから北上してクロウ・ウイングに至る支線の2ルートであった。社長にはエドワード・ライス(Edward Rice)が就任した。 M&Pの建設資金の調達は、連邦から州が鉄道用地と周辺の土地贈与を受け、それをM&Pに贈与し、M&Pはその土地を担保に資金調達するシステムであった。これは、沿線に人口がないために利用者をあてこんでの資金調達が不可能な場合に採られたシステムである。それでも資金難から工事は難航し、1860年には州政府が抵当権を行使してM&Pを接収。1862年3月にはM&Pを解散してしまった。
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