マーシャル・マリアナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 18:25 UTC 版)
「カリニン・ベイ (護衛空母)」の記事における「マーシャル・マリアナ」の解説
カリニン・ベイは太平洋沿岸部で訓練を行った後、1944年1月3日に航空機と貨物の補給任務のためサンディエゴを出港。真珠湾を経由してギルバート諸島に向かって1月24日にタラワに到着し、マーシャル諸島攻撃を控えた第5艦隊(レイモンド・スプルーアンス大将)に対する支援を行った。続く二週間の間、カリニン・ベイはタラワとマジュロ間を往復して引き続き後方支援に徹した後、2月24日にアラメダ (カリフォルニア州)に到着した。 カリニン・ベイは4月9日に第3混合飛行隊 (VC-3) を搭載し、4月23日にマジュロに到着。ミリ環礁に対する航空作戦を行った後、5月1日に真珠湾に帰投して、マリアナ諸島への進撃の準備を行った。5月30日、カリニン・ベイは真珠湾を出撃し、6月9日にエニウェトク環礁に立ち寄った後サイパン島を目指した。途中、カリニン・ベイは日本側からのもの思われる雷撃を受けたが、回避した。6月15日、カリニン・ベイはサイパン島東方海上に到達して航空攻撃を開始した。6月17日に日本機の空襲を撃退した後、カリニン・ベイは航空機の補給のためエニウェトク環礁に下がり、航空機の補充を終えると6月24日にはサイパン島沖に戻ってきた。カリニン・ベイは7月9日まで周辺島嶼に対する攻撃を行った後、エニウェトク環礁で一息ついた後、7月20日からはグアムに対する攻撃を開始した。8月2日まで攻撃を行った後、カリニン・ベイは再びエニウェトク環礁に戻ってパラオ攻撃の準備を行った。
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