マリー・ストープスの滞日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/18 16:17 UTC 版)
「マリー・ストープス」の記事における「マリー・ストープスの滞日」の解説
ストープスはミュンヘン大学で知り合った藤井健次郎の帰国を追う形で、1907年、27歳で単身来日した。来日費用は王立協会から北海道での白亜紀被子植物探索調査の名目で支給された。東京大学で講義をし、小石川植物園に化石研究の施設を整える一方、北海道で単身、化石採集を行った。明治時代の北海道を若い白人女性が化石採集するのは、センセーショナルで、新聞に取り上げられ、警官の護衛がついたとされる。滞日中の記録は、『日本日記』(A Journal From Japan)に残され、北海道以外に房総半島の旅行の記録や日本の風俗などが記録されている。藤井と共著で「白亜紀植物の構造と類縁に関する研究」を発表した。この研究には、白亜紀の単子葉類の子房の化石、クレトオパリウム(Cretovarium)が記載されている。 滞日中のエピソードとしては、大使館の夜会にでるのにピンクのドレスで自転車で出かけたり、日本科学界の重鎮、桜井錠二男爵に可愛がられ、謡いの名手だった男爵から能の手ほどきを受け、能の公演にも招待された。帰国後王立協会で能の名作「隅田川」を朗読し、『日本の古典劇・能』(“Plays of Old Japan (The NO)”)を1912年にロンドンで出版した。
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