マリノス発足後
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1993年、Jリーグ発足に伴って横浜マリノス(現:横浜F・マリノス)と契約。「ミスター・マリノス」と呼ばれた。Jリーグ開幕戦となったヴェルディ川崎戦では先発フル出場、ショートコーナーからエヴァートンの同点ゴールをアシスト、更にディアスの決勝ゴールの起点となった。6月30日の浦和レッズ戦で巧みなループシュートから、Jリーグ初ゴールにしてJリーグでは唯一のゴールを決めた。7月17日にはJリーグオールスターサッカーに7番を着用して先発出場、スルーパスで三浦知良のゴールをアシストした。後期の開幕戦となったヴェルディ戦では、スルーパスでディアスのゴールをアシストして3-0で勝利、(当時拮抗した試合が多かった両チームの対戦としては)記録的大勝に貢献した、年間を通じてパスやFKから多くのアシストを決めた。翌1994年11月5日のサンフレッチェ広島戦で63分から出場、その後もベンチ入りはするも、この試合がリーグ戦での最後の試合出場となった。天皇杯では準決勝まで勝ち上がり、準決勝のセレッソ大阪戦に出場、1-2と破れ、これが現役最後の公式戦となった。同年12月27日、ひらめいたという理由で現役引退を発表した。引退会見では引退という表現を嫌い、卒業という言葉を用いた。「もっとサッカーが上手くなりたいです」という言葉を残し、その飽くなき向上心は記者・ファンに強い印象を残した。1995年7月30日、三ツ沢公園球技場でライバルチームであったヴェルディ川崎(現役選手やジョージ与那城らOBからなる)との引退試合が開催された。
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