マラーター同盟の内紛と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 21:33 UTC 版)
「ナーナー・ファドナヴィース」の記事における「マラーター同盟の内紛と死」の解説
だが、そうした中、1795年10月25日にマーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンは突如として、宰相府プネーのシャニワール・ワーダーから飛び降り自殺を図り、2日後の27日に死亡した。自殺の理由はよくわかっていないが、ナーナー・ファドナヴィースの専横に耐え切れなくなったのだという。 いずれにせよ、マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンの死は、明らかにナーナー・ファドナヴィースに責任があった。マーダヴ・ラーオ・ナーラーヤンには後継者がおらず、マラーター同盟ではシンディア家やホールカル家などの諸侯によって宰相位をめぐる争いが起こった。 ナーナー・ファドナヴィースはこの争いを止めるべく、争いに参加していたラグナート・ラーオの息子バージー・ラーオ2世と組み、彼の擁立を計画した。そして、1796年12月4日にナーナー・ファドナヴィースの支持のもと、新たな同盟の宰相としてバージー・ラーオ2世が就任した。 だが、ラグナート・ラーオの息子ということもあり、ナーナー・ファドナヴィースが共同統治者として、実際の統治にあたった。また、1799年5月に南インドのマイソール王国の君主ティプー・スルターンは第四次マイソール戦争で戦死している。 そして、1800年3月13日にナーナー・ファドナヴィースはプネーで死亡した。彼の死により、バージー・ラーオ2世とマラーター諸侯との関係は悪化するところとなり、やがてはマラーター同盟の滅亡へとつながっていった。
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