マラーター三国の同盟結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/18 10:27 UTC 版)
「第二次マラーター戦争」の記事における「マラーター三国の同盟結成」の解説
1803年5月、バージー・ラーオ2世はその援助のもと、ヤシュワント・ラーオが去ったあとにプネーに帰還した。だが、バセイン条約にはマラーター王国の領土割譲なども約してあったため、マラーター諸侯の反感を買うこととなった。 そのため、ヤシュワント・ラーオは団結してイギリスと戦うため、グワーリヤルのダウラト・ラーオ・シンディアやナーグプルのラグージー・ボーンスレー2世らに手紙を書いた。その内容はこうだった。 「最初に我々の国家、最後に私たちの宗教を。我々は我々の国家の利権のため宗教やカースト、そして我々の現状を越えて立ち上がる必要がある。あなたがたも私のように、イギリスに対し戦争を行わなければならない」 こうして、同年6月4日にホールカル家、シンディア家、ボーンスレー家の三国間に同盟が結成されることころとなり、イギリスに対し共同で立ち向かうこととなった。
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