マラーターの略奪と国力の疲弊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/10 09:15 UTC 版)
「アリーヴァルディー・ハーン」の記事における「マラーターの略奪と国力の疲弊」の解説
1741年3月、太守アリーヴァルディー・ハーンは、攻め込んできた隣国オリッサに勝ち、その領土を奪った。だが、敗れたオリッサ太守のルスタム・ジャングはマラーター同盟のボーンスレー家に援助を求めた。 これにより、マラーターはベンガルへと侵攻し、豊かなこの地方の物資を略奪しはじめたが、アリーヴァルディー・ハーンは初期の侵攻をなんとか食い止めた。だが、マラーターはこのベンガル略奪に味をしめ、ベンガルそのものが滅ばない程度に毎年ベンガルのあらゆる場所へ、何度も何度も略奪を繰り返すようになった(マラーターのベンガル遠征)。 その後、1751年5月、ベンガル太守アリーヴァルディー・ハーンはマラーターと講和し、10年にも及ぶ略奪に終止符を打った。だが、その条約ではベンガルはスバルナレーカー以遠のオリッサの領土割譲を約したばかりか、ベンガルとオリッサの両州から毎年チャウタ(諸税の四分の一を徴収する権利)を支払うことなども約束させられた。 だが、翌年にマラーターはこの条約を無視してオリッサに攻め入り、その全土を自らの領土に加えた。
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