マラーター勢力の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/01 05:53 UTC 版)
1708年、マラーター王国を中心にマラーター同盟が結成され、徐々にムガル帝国に反撃を開始した。 1713年、マラーター王シャーフーは自身に最も忠実だったバーラージー・ヴィシュヴァナートを宰相(ペーシュワー)に任命した。間もなくしてマラーター王からバラモン階級の王国宰相に実権が移った。 1720年にバーラージーが死ぬと、息子バージー・ラーオが王国の宰相となった。彼は卓越した軍事的才能を持ち、シヴァージーの再来ともいえる偉大な人物であった。彼は南インドに遠征したのち、北インドへとマラーターの勢力拡大を図った。 そして、その時代にマラーターの勢力はデカンを越え、南インドと北インドを勢力圏とし、1737年にはデリーにまで進出した。この過程で遠征で活躍した諸侯(サルダール)封土と征服地を封土として認められ、多くの人々がそれらの地に移住した。 また、その息子で宰相バーラージー・バージー・ラーオの時代には、マラーターはベンガル地方とパンジャーブ地方にまで進出した。
※この「マラーター勢力の拡大」の解説は、「マラーター」の解説の一部です。
「マラーター勢力の拡大」を含む「マラーター」の記事については、「マラーター」の概要を参照ください。
- マラーター勢力の拡大のページへのリンク