マラーターとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/10 18:11 UTC 版)
「カマルッディーン・ハーン」の記事における「マラーターとの戦い」の解説
カマルッディーン・ハーンはハイダラーバードを一時的な首都したが、のちに同地からアウランガーバードへと移動し、自己の所領と支配を固めようとした。 だが、領土としてあてがわれたデカン6州はマラーター王国にも権利が認められていたため、マラーターとの間に争いが生じた。すでに、1718年7月にマラーターはムガル帝国領のデカン6州に関してのチャウタ(諸税の4分の1を徴収する権利)およびサルデーシュムキー(諸税の10分の1を別に徴収する権利)の徴収を帝国と取り決め、1719年3月に皇帝に認められていたのである。 1727年初頭、マラーター王国の宰相バージー・ラーオが南インドのカルナータカ地方に遠征中、ニザーム王国は彼に敵対するマラーターの武将らとともに攻め込んだ。同年4月にバージー・ラーオもカルナータカ遠征を終え、本国へと戻った。 1728年2月、ニザーム王国の軍はプネー及びその周辺の地域を占領したが、遠征から戻ってきたバージー・ラーオに破られた(パールケードの戦い)。同年3月6日、ニザームはマラーターのデカンにおけるチャウタとルデーシュムキーを認めた。
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