マッキノウ・コートと将校用ショート・オーバーコート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 04:15 UTC 版)
「軍服 (第二次世界大戦の米陸軍)」の記事における「マッキノウ・コートと将校用ショート・オーバーコート」の解説
M1938マッキノウ・コートは、コットン・ズック製で通常はタン色のオーバーコートより丈が短いコートである。前合わせは4個二列のプラスチックボタンのダブルブレストで、通常は一番上のボタンは留めず、ショールカラー(へちま襟)を開いて着用した。上襟にOD色ウール地が貼られているのが特徴的だった。しかしM1938は素材がゴワゴワしていたため、1942年には素材をコットン・ポプリンに変更したM1942マッキノウ・コートが採用された。M1942では上襟のウール地は廃止されている。さらに1943年には襟をショール・カラーからノッチト・カラーにし、ベルトやベルト通しを廃止して生産工程を簡素化したM1943マッキノウコートが採用されている。 マッキノウコート自体は1936年から研究されていたが、上記のオーバーコートが野戦向きではないという問題から1942年頃から本格的支給が始まった。なお「マッキノウ(Mackinaw)」とはアメリカ北西部インディアンの格子縞の毛布を指す言葉であり、マッキノウコートといった時は森林労働者の格子縞のウール製コートに由来するという。 類似の丈が短いショールカラーの襟のコートとして将校用ショートオーバーコートが存在した。ショールカラーとボタンで留める共生地のベルトが特徴である。1926年に最初に制定されたが、陸軍規則は1944年3月になってやっとこのコートの色をODシェード52と規定している。マッキノウ・コートと同様に1943年にベルトが廃止されて襟がノッチト・カラーになったものが登場した。 マッキノウ・コートを着るアーニー・パイル(中央)(1944年イタリア・アンツィオ) 最前列左の兵士がマッキノウ・コート。最前列右の少尉はM1929将校用ショートオーバーコート(1944年12月バルジの戦いで捕虜になった米兵たち)
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