マインフェリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 07:56 UTC 版)
「ゼーリゲンシュタット」の記事における「マインフェリー」の解説
ゼーリゲンシュタット修道院が権利を持つマイン川の渡船が 9世紀には既にあり、マイン川両岸の人や物資を相互に運んでいた。金銭や農作物に関してこの権利は拡大して行き「渡船権」へと発展していった。この渡船権は長年の間、ある一族が保有し相続されていた。1803年に修道院が廃止されると渡船権はヘッセン大公に移譲され、民間に貸し出されることとなった。ゼーリゲンシュタット市は1868年に、4,000グルデンでマイン川渡船に関するすべての権利を買収した。市はこの権利を高額な値段で民間に貸し付けた。第二次世界大戦後になって市は渡船の直接的な営業を開始した。初めはエンジンを持たない船であったが、1957年から自走式フェリーが投入された。 現在のマインフェリー(かつては「ネーヴェ」と呼ばれた)は、マイン川に全部で12ある渡船の1つである。自走式の自動車フェリーでマイン川の河川里程 69.60 km の位置を横断している。このフェリーは1971年に開業した。それ以前は、ヘッセン州のゼーリゲンシュタットとバイエルン州のカール・アム・マインまたはカールシュタイン・アム・マインとの間を 2 - 3 隻の渡し船(精確な数字は今では解らない)が運行していた。現在のフェリーはゼーリゲンシュタット市施設局が運営しているが、高額の運営維持費のために毎年多額の赤字を計上している。このため、フェリーを廃止してマイン川に橋を架ける案や自動車フェリーを廃止して歩行者および二輪車用の小型渡船に置き換える案などが頻繁に議論されている。また、民間企業にフェリーを運航させればコスト削減になるという案もある。
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