マイネ(1等寝台車)時代
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「国鉄マロネ40形客車」の記事における「マイネ(1等寝台車)時代」の解説
マイネ40・41形は当初はそのほとんどが進駐軍専用もしくはそれに類する列車に投入され、東京 - 札幌間を途中青函連絡船に積載されて直通するなどして全国の主要幹線ルートを往来した。 1950年以降は主に東海道・山陽本線系統の急行列車群に連結されて用いられた。なおマイネ40 15は1950年10月、東北本線急行「みちのく」として運転中に脱線事故を起こし、転覆大破して廃車となっている。 1951年以降日本国内の民間航空路が復活し、東京から各地への幹線ルートに旅客機が就航するようになると、従来国鉄の1等車を利用してきた富裕層や企業幹部等が、航空機利用に流れるという現象が生じてくる。 その一方で2等寝台車は需要が高かったため、国鉄は1955年7月に保有する1等寝台車全車を2等寝台車に格下げし、1等寝台を廃止した。この実質的な運賃・料金値下げにより、マイネ40・41形はマロネ40・41形に形式を変更した。
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