ポルシェの挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 18:31 UTC 版)
「カナディアン-アメリカン・チャレンジカップ」の記事における「ポルシェの挑戦」の解説
1972年、 メイクス世界選手権 (前年までのメイクス国際選手権) の規定変更をうけ、耐久レースの雄ポルシェがカンナムに本格参戦する(ワークスの運営はペンスキー・レーシングが代行)。シボレー製V型8気筒エンジン勢(7.0から8.5リットル、600馬力から900馬力)に対して、ターボチャージャーを装着した5リットル水平対向12気筒エンジンは公称1,100馬力のパワーを発揮した(後に5.4リットルに拡大し、ピークは1,580馬力にも達すると言われた)。ポルシェ勢がこのシーズンを席巻し、マクラーレンはワークス活動休止に追いやられた。翌1973年もポルシェの圧勝が続いたが、燃費規制が導入されることで意欲を失い、ワークス活動から撤退することになる。 マクラーレンとポルシェが去った1974年はシャドウに乗るジャッキー・オリバー(のちのアロウズ代表)が制した。しかしオイルショックの余波で年間5戦しか行われず、1975年はシリーズ自体が休止に追いこまれた。
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