ポルシェにアウトウニオンから設計委託
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「アウトウニオン・レーシングカー」の記事における「ポルシェにアウトウニオンから設計委託」の解説
1932年にアウトウニオンが成立すると、この750kg規定でレース参戦することを決定し、その設計を委託するため重役2人がポルシェを訪れた。フェルディナント・ポルシェは「それならもう私のポケットに入っていますよ」と答えたという。 設計はHFBからアウトウニオンに移管され、設計者フェルディナント・ポルシェの頭文字Pを取ってアウトウニオン・Pヴァーゲンと名付けられた。ポルシェとしての製作番号は22である。1933年3月にアヴスにてドイツ国民の前に姿を初めて現し、ハンス・スタックの運転で最初の記録走行が行なわれ、217.11km/hを記録した。1933年から1934年にかけての冬にフェルディナント・ポルシェ立ち会いの元、最初のテスト走行がモンツァ・サーキットとイタリア高速道路で行なわれた。最初の1-2年、750kg規定で行なわれたほとんどのレースにフェルディナント・ポルシェも立ち会い、ピットで2個のストップウォッチを操作して自らラップタイムを計測し、撮影し、レース展開に対し技術的指導をした。
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