ポペの王国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/19 06:20 UTC 版)
スペイン人の後退によって、ニューメキシコにはプエブロ人の権力が残った。ポペは、十字架およびその他の宗教上のイメージ、カトリックとスペイン文化のその他のいかなる痕跡も燃やすか破壊するように命じ、さもなくば死の刑罰を与えようとした。これらスペインの痕跡には、スペイン産の家畜と果樹も含まれていた。さらに彼は、小麦と大麦の植え付けを禁じ、カトリック教会の典礼によって結婚した妻と離縁して、古いプエブロ人の伝統的な儀式で他の者と結婚するよう命令した。ポペは1688年頃に死ぬまで、プエブロの知事として総督邸に住み、プエブロたちから捧げものを集めた。 ポペの死後、数百マイルもの距離と6つの異なる言語で隔てられた異なるプエブロの部族たちは、誰がサンタフェを占領して国を統治するか論争を始めた。この権力闘争は、流浪の部族による襲撃と7年間の干ばつとにより、プエブロたちの結束を弱め、スペインによる再度の征服の舞台を整えた。
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