ホルスト・ヴェッセル殺害事件をめぐって
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「ヨーゼフ・ゲッベルス」の記事における「ホルスト・ヴェッセル殺害事件をめぐって」の解説
1930年1月14日に突撃隊員ホルスト・ヴェッセルが共産党の赤色戦線戦士同盟隊員アルベルト・ヘーラー(ドイツ語版)に銃撃されるという事件が発生した。彼は2月23日に死亡した。ヴェッセルはかつて『デア・アングリフ』紙に政治詩を投稿していたため(『ホルスト・ヴェッセルの歌』)、事件はゲッベルスの関心を引いた。 ゲッベルスは事件を次のように総括した。「ヴェッセルは国家社会主義党員だった故に殺された。国家社会主義党員は全て迫害され、死の危険に晒されている。共和国政府は彼らを弾圧し、スパイ工作を行っている。国家社会主義党は敵に囲まれている。その中でも最大の敵はユダヤ国際資本である」。 ゲッベルスはヴェッセルを徹底的に英雄化するキャンペーンを行い、彼がいまだ生存している2月7日の段階で早くもスポーツ宮殿での党集会において『ホルスト・ヴェッセルの歌』を歌わせている。この『ホルスト・ヴェッセルの歌』のメロディーはどこか讃美歌に似た風であり、極めて効果的だった。ゲッベルスは直感的にこの歌がナチ党のあらゆる儀式を神聖化すると見抜いたという。後に『ホルスト・ヴェッセルの歌』はナチ党党歌となり、さらに第二国歌となる。 3月1日にはヴェッセルの葬儀を執り行ったが、「ヴェッセルはヒモ」と主張する共産党員が墓地の外から嫌がらせを行った。ゲッベルスはその時の情景をパセティックに次のように描いている。「彼の棺が冷たい土の中へ滑って行ったとき、外の門の前では下等人間が放埒な叫び声でがなり立てていた。我々とともにある死者はその弱弱しい手を挙げて暮れ行く彼方を示した。『墓を超えて進め。目指す先にドイツがある!』」。
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