ホラッフェン伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 15:35 UTC 版)
「クライルスハイム」の記事における「ホラッフェン伝説」の解説
クライルスハイムの人が誇りに思っているのが、この都市の『ホラッフェン』にまつわる伝説である。1379年/80年、帝国自由都市シュヴェービッシュ・ハル、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ディンケルスビュールの連合軍に包囲されて5ヶ月、食料の残りも尽きかけた頃、そのアイデアは生まれた。 最後に残った小麦粉で女達がホラッフェンと呼ばれるパンを焼き、市壁から包囲軍に向かって投げた。その後、街で一番太っていた市長の妻が市壁に立って、尻を剥き出しにしながら包囲軍に向かって降りてきた。そのふくよかな顔つきと肥満した体に、包囲軍は作戦に見込みがないと思い、包囲を解いた。退却は1380年の五旬節の主日(復活祭前7番目の日曜日)前の水曜日に行われた。 市の祝日は、現在も毎年五旬節の主日の前の水曜日に行われ、この日は町中が旗で飾られ、式典が行われる。また、この日、ホラッフェンが全就学児童に配られる。ホラッフェンの形は、この時の市長夫人の尻を模ったといわれている。実際には、ケルト時代に家の玄関前に飾られた厄除けの印にその起源がある。クライルスハイム市民にとって「ホラッフェン」とは、初め退却させられた帝国自由都市連合軍への嘲弄の言葉であった。現在でも、希にではあるが、侮辱の言葉として耳にする機会がある。
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