ペラム・第1次ニューカッスル公内閣陸軍支払長官(1746-1755)
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「ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)」の記事における「ペラム・第1次ニューカッスル公内閣陸軍支払長官(1746-1755)」の解説
ジャコバイトの反乱鎮圧後、ヘンリー・ペラム内閣は議会での支持者拡大を狙ってピットを政権に取り込もうとし、渋る国王を一悶着の末に説得してピットに入閣を要請した。ピットはこの要請に応じ、1746年からペラム内閣の陸軍支払長官(英語版)に就任した。ただこの官職はさほど重要ではなく、庶民院における自己の重要性を意識するピットにとって満足のいくポスト配分ではなかった。 ペラムの死去後に成立した初代ニューカッスル公爵トマス・ペラム=ホリスの第1次ニューカッスル公爵内閣でも陸軍支払長官に留任したが、この頃までにはピットの不満は抑え難いものとなっていた。1754年の解散総選挙は政府の勝利に終わったが、同年11月から招集された新議会ではピットはヘンリー・フォックス(後の初代ホランド男爵)とともに官職に就いたまま政府批判を展開した。1755年12月にフォックスが閣内大臣に就任すると彼とも絶交して野党活動を強化していった。 ちょうどその頃、ニューカッスル公爵内閣は外交面で失態を続けていた。北アメリカではフレンチ・インディアン戦争が勃発し、英仏が武力衝突したが、陸でも海でも敗北した。また1755年夏から秋にかけてはハノーファーの安全を確保すべくヘッセン大公国やロシア帝国と条約して資金提供を行ったが、この政策は各方面から不人気だった。ピットはこれらを攻撃材料にして激しい政府批判を展開するようになった。ピットが完全に野党の立場に移ったことから、ニューカッスル公爵はピットを陸軍支払長官職から罷免した。
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