ベルリン日独協会とは? わかりやすく解説

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ベルリン日独協会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 03:56 UTC 版)

フリードリヒ・ハック」の記事における「ベルリン日独協会」の解説

1934年、ベルリン日独協会の会員であったハックは、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉のために訪欧中の山本五十六ドイツ海軍総司令官エーリヒ・レーダー軍縮問題全権ヨアヒム・フォン・リッベントロップとの会談セットした1935年駐独大使館付陸軍武官大島浩会談大島とのリッベントロップとの会談成立させた。また、同年10月には大島国防軍情報部長のヴィルヘルム・カナリス国防相ヴェルナー・フォン・ブロンベルクと共にフライブルクでの日本との軍事協力に関する会合参加し11月15日リッベントロップ邸での会談にも参加した出席者リッベントロップ大島カナリスナチ党外交部のヘルマン・フォン・ラウマー (Hermann von Raumer) らであった1936年2月8日宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス後援され日独合作映画新しき土』の撮影チームとともに来日したこの際、彼はリヒャルト・ゾルゲソ連軍スパイであるとも知らず日独軍事協定締結交渉のために来日したことを暴露した1936年11月25日ハックらの努力実を結び日独防共協定締結される1937年2月リッベントロップカナリス、ラウマー、オイゲン・オットと共に大島から勲章勲四等旭日小綬章)が手渡された。ハック肩書きは「日独協会理事」であり、中佐相当とされていた。

※この「ベルリン日独協会」の解説は、「フリードリヒ・ハック」の解説の一部です。
「ベルリン日独協会」を含む「フリードリヒ・ハック」の記事については、「フリードリヒ・ハック」の概要を参照ください。

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