ヘミングウェイを紹介される
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 05:07 UTC 版)
「マックス・パーキンズ」の記事における「ヘミングウェイを紹介される」の解説
長編第3作『グレート・ギャツビー』が完成間近だった1924年10月に、フィッツジェラルドはパーキンズへアーネスト・ヘミングウェイを紹介する手紙を送った。12月になって、『われらの時代』と銘打たれた小品集がヘミングウェイから送られてきた。パーキンズは彼の非凡な能力を見て取って是非作品を刊行したいと考えたが、折悪しくオーストリアへ出かけたヘミングウェイは、パーキンズが連絡を取れないうちにボニ&リヴライト社(英語版)に刊行許可を与えてしまっていた。パリへ帰ってパーキンズの手紙を読んだヘミングウェイは、自分としてはスクリブナー社から短編集を出したかった旨を返信している。 パーキンズは契約を結べず落胆したが、ボニ&リヴライト社とヘミングウェイの契約は、風刺小説『春の奔流(英語版)』の刊行が拒否されたことであっさりと破綻した。ヘミングウェイの気持ちは、前々から色よい返事をくれていたパーキンズ、そしてスクリブナー社にぐっと傾いていた。ヘミングウェイの作品は猥語の多用などが原因で社の出版方針に反しており、パーキンズもあまり良い値は提示できなかったが、それでも彼はスクリブナー社との契約に合意した。この契約で『春の奔流』と『日はまた昇る』がスクリブナー社から刊行されることが決定し、パーキンズは仲介役となったフィッツジェラルドへ大いに感謝した。『春の奔流』は1926年5月28日、『日はまた昇る』は同年秋の10月22日に刊行され、後者は3年で10版を重ねた。1928年にヘミングウェイの父が猟銃自殺して以来、彼はパーキンズをますます慕い、スクリブナー社から『武器よさらば』(1929年9月)、『誰がために鐘は鳴る』(1940年)などの傑作を出版した。パーキンズの側も、彼を「やんちゃな弟」のように見ていた。またヘミングウェイも、かつてフィッツジェラルドがしてくれたように、有望な作家をパーキンズへ紹介した。
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