プントランド暫定大統領
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「ユスフ・ハジ・ヌル」の記事における「プントランド暫定大統領」の解説
アブドゥラヒ・ユスフ大統領は2001年7月1日で任期が切れたが退任を拒否。一方、暫定プントランド憲法では「政府が2001年までに憲法制定と選挙実施に失敗した場合、最高裁判所の主席判事が引き継ぐ」と定められており、最高裁判所主席判事のユスフ・ハジ・ヌルはこれを根拠に7月1日に暫定大統領就任を宣言した。 ガローウェでの武力衝突の恐れが高まったため、ガローウェの長老会議は8月7日の夜にアブドゥラヒ・ユスフにガローウェからの自主退去を要請し、アブドゥラヒ・ユスフは翌8日に武装車両に護送されてガローウェ南部にある地元のガルカイヨに戻ったただしアブドゥラヒ・ユスフはガルカイヨでも「私はいまだにプントランドの大統領である」と言い続けた。以後プントランドは約2年間内戦状態となった。 7月25日、ガローウェの長老会議はユスフ・ハジ・ヌルの大統領代行を承認し、8月31日までに次の大統領を決めることとなった。 2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生すると、アメリカ政府は全世界のイスラーム過激組織をテロリスト集団と指定していった。ソマリアの過激組織の一つアル・イッティハード・アル・イスラミア(英語版)(AIAI)も9月24日にテロ組織指定を受けた。直後の10月初旬、ユスフ・ハジ・ヌル大統領代行はIRIN(国連による紛争解決組織)の取材に対して「プントランドにAIAIの軍事キャンプや基地はなく、国際社会がそれを確認するために訪問することを歓迎する」と語った。 2001年11月14日にジャマ・アリ・ジャマが議会選挙でプントランド大統領となり、ユスフ・ハジ・ヌルは退任した。ただし直後の11月21日にアブドゥラヒ・ユスフが武力で政権を奪還して、大統領に復帰した。このクーデターが短期間で終わったため、ユスフ・ハジ・ヌルとジャマ・アリ・ジャマを大統領としては認めずに、アブドゥラヒ・ユスフはプントランド建国から2004年10月に退任するまで一貫して大統領だったとする文献もある。
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