プントランド建国とユスフ大統領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 03:37 UTC 版)
「プントランドの歴史」の記事における「プントランド建国とユスフ大統領」の解説
ソマリアでは、ハルティ以外の氏族もそれぞれ軍閥を作り、ソマリア内戦が激化することになる。しかし、戦闘が激しくなったのは、内戦前から氏族の居住地が複雑に入り組んだソマリア南部が中心であり、ソマリア北部では比較的早期に落ち着きを取り戻していった。 まず、ソマリア北西部では1991年、イサック氏族の軍閥が中心となってソマリランドの建国を宣言し、独立状態となった。ただし2020年現在に至るまで、国際的には承認されていない。 1998年、後にプントランド首都となるガローウェにて、3ヶ月にわたって、この地域の将来性が話し合われた。参加者は、各軍閥の長の他、地元の長老(issims)、実業家、知識人、その他の有力者などだった。そしてプントランド共和国(Republic of Puntland)の建国が宣言され、初代大統領にはマジェルテーン出身でかつてSSDFを設立したアブドゥラヒ・ユスフが就いた。プントランド大統領の任期は3年とされた。 ユスフの出身はマジェルテーンのオマル・マハムード支族である。以後、プントランド大統領の座は、マジェルテーンの3大支族であるオマル・マハムード、オスマン・マハムード、イセ・マハムードが、時に武力をもって争うことになる。
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