ラーマ2世とは? わかりやすく解説

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ラーマ2世

(プッタルートラーナパーライ王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/25 06:32 UTC 版)

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ラーマ2世
รัชกาลที่ ๒
シャム国王
ラーマ2世像(チャクリーマハープラーサート宮殿蔵)
在位 1809年9月7日 - 1824年7月21日
戴冠 1809年9月7日、於大宮殿
全名 พระบาทสมเด็จพระบรมราชพงษเชษฐมเหศวรสุนทร ไตรเสวตรคชาดิศรมหาสวามินทร์ สยารัษฎินทรวโรดม บรมจักรพรรดิราช พิลาศธาดาราชาธิราช บรมนารถบพิตร พระพุทธเลิศหล้านภาไลย
別名 พระบาทสมเด็จพระพุทธเลิศหล้านภาลัย
プッタルートラーナパーライ
チム(幼名)
王朝 チャクリー王朝
副王 セーナーヌラック英語版
出生 (1767-02-24) 1767年2月24日
アユタヤアムパワー
死亡 (1824-07-21) 1824年7月21日(57歳没)
シャムバンコク
埋葬  
タイバンコク大宮殿
ラーマ1世
アマリン
配偶者 シースリエン
クントンティッパヤワディー
居所 大宮殿
宗教 上座部仏教

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称号: 国王
敬称 陛下
His Majesty the King
พระบาทสมเด็จพระเจ้าอยู่หัว

ラーマ2世タイ語: รัชกาลที่ ๒)は、チャクリー王朝の第2代のシャム国王プッタルートラーナパーライタイ語: พุทธเลิศหล้านภาลัย, ラテン文字転写: Buddha Loetla Nabhalai)とも呼ばれる。『清史稿』は鄭仏、『大南寔録』は昭六書(Chiêu Lục Thư)と呼ばれる。

生涯

印章

ラーマ1世の息子で、幼名をチムと言った。1782年タイ仏暦2345年)にラーマ1世が即位するとクロムルワンイッサラスントーン王子の名を得た。その後タイの仏教の伝統に則って出家した。1806年タイ仏暦2349年)の副王の死によって自身が副王になり、皇太子となった。1809年(タイ仏暦2352年)に父王が崩御ため王に即位した。治世の前半はたびたびビルマが攻めてきたが、後半ではビルマがイギリスに占領され、攻めてこなくなったため、国内の整備などを行った。

タイの文豪の一人にも数えられる。文学面での功績は大きいが、ブンナーク家などの貴族に内政を委ねていたので、政治的にはあまり実権を持たなかった。

人物

武人の一面

文人の一面

  • タイの詩聖スントーン・プーなどの詩人を保護し、貴族を集めて史の競作を行った。
  • スントーン・プーやラーマ3世らとの共作・競作作品に『クン・チャーン=クン・ペーン』があり、タイを代表する文学の一つでもある。
  • 自らも作詩した。代表作に『イナオ』、『サントーン』、などがある。
  • ラーマ1世が破壊したワット・スタットの修復をしたときに門に彫刻を行った。

事績




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