ブロメ通りバル・ネーグル -「謎の女」イヴォンヌ
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「ロベール・デスノス」の記事における「ブロメ通りバル・ネーグル -「謎の女」イヴォンヌ」の解説
デスノスはモンパルナス(パリ15区)ブロメ通り(フランス語版)に住んでいた。モンパルナスは当時、1900年代から1910年代にかけて前衛芸術・文学の中心であったモンマルトルから活動の拠点を移した前衛芸術家・文学者(あるいはボヘミアン)が多く住む地区であったが、とりわけ、ブロメ通りにはパブロ・ガルガーリョ(フランス語版)とジョアン・ミロの共同のアトリエやアンドレ・マッソンのアパートに多くの芸術家や文学者が訪れていた。デスノスは、アンティル出身の黒人が多く集まるダンスホール(キャバレー)兼ジャズ・クラブで、狂乱の時代と呼ばれる1920年代に全盛を極めたブロメ通り33番地の「バル・ネーグル(フランス語版)」(現「バル・ブロメ」)からほんの数メートルのところに住んでいたため、「バル・ネーグル」の常連であり、ここで、ベルギー生まれの歌手のイヴォンヌ・ジョルジュ(フランス語版)と出会った。「坂口安吾が絶賛し、コクトーやサティを刺激し」、早川雪洲とも共演したことがあるという女性だが、1930年に34歳で夭折した。現在残っているアルバムは1枚だけだが、デスノスは彼女の声に魅せられて音楽評論を書き、詩に歌っている。とりわけ、「あまりにきみを夢見たので」(堀口大學訳『デスノス詩集』所収)、「謎の女へ」に歌われる女性であり、マン・レイの映画『ヒトデ(海の星)』(1928年)の脚本は、デスノスがこの「謎の女」について書いた詩を翻案したものである。15分ほどのこの無声映画は、マン・レイの愛人「モンパルナスのキキ」(アリス・プラン)が「謎の女」を演じ、デスノスも最後の場面に姿を見せる。
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