ブレッツ以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 05:52 UTC 版)
サンズではコニー・ホーキンズのバックアップとしての役割が求められたが、膝の不調を引き摺ったため、21試合プレイした時点で解雇された。 フリーエージェントとなったジョンソンに目を付けたのがNBAのライバルリーグ、ABAのインディアナ・ペイサーズだった。中心選手の殆どが20代と若いチームだったペイサーズは、経験豊富なベテランを必要としていた。ジョンソンはメル・ダニエルズやジョージ・マクギニスらのバックアップとしてプレイし、またベンチから若いチームメイトたちを指導した。ペイサーズはレギュラーシーズンを51勝33敗の成績を終えると、プレーオフも勝ち抜いてファイナルに進出した。ケンタッキー・カーネルズとのシリーズは死闘となり、最終第7戦までもつれた。 この重要な一戦でエースのダニエルズがファウルトラブルに陥った。ヘッドコーチのスリック・レナードはダニエルズに変えてプレーオフでは殆ど出番の無かったジョンソンを投入。カーネルズのエースセンター、アーティス・ギルモアにマッチアップさせた。198cmのジョンソンは218cmのギルモアを渾身のディフェンスで見事に封じ込め、カーネルズのオフェンスを沈黙させた。カーネルズは第4Qに11得点しか取れず、試合は88-81でペイサーズが勝利。ジョンソンはNBAでの10年間では無縁だった優勝を、初めて経験した。 ジョンソンは念願のチャンピオンリングと共に、現役から引退した。 NBA/ABA通算成績は10シーズン632試合の出場で、10,243得点7,624リバウンド、平均16.2得点12.1リバウンドだった。
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