ブルターニュの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:31 UTC 版)
一方、1582年にアンリ3世にブルターニュ総督に任命されたメルクール公フィリップ・エマニュエルはこの地域を独立させようと図っていた。カトリック同盟の指導者の一人であるメルクール公は、かつてのブルターニュ公の子孫であり、かつブロワ=ブロスの相続人であった妻マリー・ド・リュクサンブールの世襲権を使い、ブルターニュ公領とパンティエーヴル公領の所有権を主張し、ナントに政府を樹立する。息子を「ブルターニュ公爵かつ王子」であると宣言して、彼はスペイン王フェリペ2世と同盟した。フェリペ2世は王女イサベル・クララ・エウヘニアをブルターニュ女王にしようとしていた。スペインの助けを受けたメルクール公は1592年にモンパンシエ公アンリ率いる国王軍をクラン (Craon) で破った。だが、イングランド軍の増援を受けた国王軍はすぐに優勢をとり戻している。
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