モンパンシエとは? わかりやすく解説

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モンパンシエ

名前 Montpensier

モンパンシエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/25 14:19 UTC 版)

Montpensier

行政
フランス
地域圏 (Région) オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏
(département) ピュイ=ド=ドーム県
(arrondissement) リオン郡
小郡 (canton) エーグペルス小郡
INSEEコード 63240
郵便番号 63260
市長任期 ジゼル・ボワシエ[1]
2014年-2020年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes Nord Limagne
人口動態
人口 424人
2012年
人口密度 59人/km2
住民の呼称 Montpensierois(es)
地理
座標 北緯46度02分10秒 東経3度13分14秒 / 北緯46.0361度 東経3.2206度 / 46.0361; 3.2206座標: 北緯46度02分10秒 東経3度13分14秒 / 北緯46.0361度 東経3.2206度 / 46.0361; 3.2206
標高 平均:m
最低:346m
最高:636 m
面積 7.24km2
Montpensier
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モンパンシエMontpensier)は、フランスオーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏ピュイ=ド=ドーム県コミューン

地理

モンパンシエはリオンの北30km、県都クレルモン=フェランの北45km、ヴィシーとは高速道で22km離れている。

元の国道9号線である県道2009号線上にあるオーヴェルニュの村で、エグペルスの町の隣にある。美しい眺めの楽しめる石灰岩の小山の上には、モンパンシエ城がある。TERオーヴェルニュの路線であるサン・ジェルマン・デ・フォッセ-ニーム-クルブサック線がコミューンを通過する。最寄り駅はエグペルス駅である。

由来

モンパンシエ城、フランス国立図書館所蔵の絵

モンパンシエとは、小山の名前Mons Pancherii(文字通りPanseの山)に由来する。小山の自然の形状から喚起されており、小山の周囲を取り囲むように村が成長した。

歴史

モンパンシエの小山は、オーヴェルニュ北部の戦略的要所で、重要な歴史的光景の目撃者となってきた。

紀元前52年、ユリウス・カエサルゲルゴウィアの戦いのさなか、おそらくこの小山で軍の到着を目撃している[2]。892年、ウード王はモンパンシエの山のふもとでノルマン軍を破った[3]。1362年、ブリニェの戦いの後、1200人ものタール・ヴェニュ(frジャン2世時代にリヨネーの街道を荒らした傭兵くずれの集団)がオーヴェルニュを荒らしまわった。同年、モンパンシエにおいて、エンリケ・デ・トラスタマラの指揮下にある400人のスペイン人とカスティーリャ人たちにより、彼らは粉砕された。

11世紀よりモンパンシエ領主が生まれ、1176年に家系はティエール家からボージュー家に移った。1226年11月、ルイ獅子王ことルイ8世は、アルビジョワ征伐の間に高熱でモンパンシエ城で没した。

1308年、ドルー家がモンパンシエ領主となった。1384年、領主権がベリー公ジャン・ド・フランスに売られ、伯爵領に格上げされた。

1434年、マリー・ド・ベリーを通じて、モンパンシエ伯領はブルボン家にもたらされた。ブルボン公シャルル3世はコネタブル・ド・ブルボン(Connétable de Bourbon)と呼ばれた人物で、フランソワ1世を裏切り神聖ローマ皇帝カール5世についた。したがってモンパンシエ伯領は1525年に没収され、1539年に彼の姉ルイーズ・ド・モンパンシエのみが継承者となり、後に公爵領に昇格した。

1566年、モンパンシエ公フランソワはルネ・ダンジューを妻とした。ルネ・ダンジューは、1662年にラファイエット夫人が書いた小説『モンパンシエ公爵夫人』のモデルである。1627年、モンパンシエ公領はオルレアン家のものとなった。フランス王子・オルレアン公ガストンの妃となっていたマリー・ド・ブルボン=モンパンシエが亡くなったためである。

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年 2012年
231 235 231 255 327 315 355 424

source=1999年までLdh/EHESS/Cassini[4]、2004年以降INSEE[5][6]

脚注

  1. ^ Liste des maires 2014, site de la préfecture du Puy-de-Dôme (consulté le 2 juin 2014).
  2. ^ Guerre des Gaules, Jules César, chapitre XI.
  3. ^ Invasion des Normands sur le site histoire-fr.com
  4. ^ http://cassini.ehess.fr/cassini/fr/html/fiche.php?select_resultat=23742
  5. ^ http://www.statistiques-locales.insee.fr
  6. ^ http://www.insee.fr


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