ブリュッセルへの逃亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 15:28 UTC 版)
「アンリエット・ド・ロレーヌ」の記事における「ブリュッセルへの逃亡」の解説
フランス王ルイ13世は、三十年戦争においてロレーヌ公シャルル4世が神聖ローマ皇帝(ハプスブルク家)側についたことに怒り、ナンシーへ進軍した。シャルル4世は首都を救援しようと急行したが、フランス王の軍陣に呼び出されて赴いたところ、リシュリューの奸計で捕虜にされてしまう。囚われたロレーヌ公はやむなくフランス軍へのナンシー明け渡しを命じたが、公爵家の中でファルスブール女公アンリエットだけは大胆にもフランスへの屈服に反対した。彼女の妹オルレアン公爵夫人マルグリットはこれに先立つ1633年8月23日ナンシーを脱出していたが、アンリエットもまた、フランス占領軍の監視の目を上手く逃れてネーデルラントへ逃亡することに成功し、スペイン王室の権威下にあるブリュッセルの総督宮廷に保護を求めた。一方、パリ高等法院はアンリエットの全財産の没収を決議し、1633年には彼女が兄シャルル4世に抵当物件として譲っていたブレ伯爵領も没収の対象となった。アンリエットは兄シャルルの人生が最も劇的に転変した時期に居合わせた。公爵が1634年ブリュッセルでベアトリクス・ド・キュザンスと恋に落ちて結婚しようとした際、アンリエットはこれに強く反対し結婚を一時的に諦めさせた(彼らは1637年に結婚してしまう)。また1635年夏、シャルル4世がラ・フォルス公爵(英語版)及びアングレーム公爵(英語版)の軍勢が占領するロレーヌ公国に軍隊を進めた際、アンリエットは兄と共に軍勢を率いた。
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