ブリトン人側からの資料より
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:00 UTC 版)
「ペンダ (マーシア王)」の記事における「ブリトン人側からの資料より」の解説
『ブリトン人の歴史』にはペンダには兄弟としてエオワの存在が見受けられ、『カンブリア年代記』にはこのエオワがマザーフィールドの戦いの時期、マーシアの王であったとの記述がある。 このエオワと彼の関係については資料は何も語っていない。歴史家たちからは以下のような憶測がなされてきた。 エオワはペンダの指揮下にある下位王であり、単にエオワは彼の下位王であり、単に630年代から640年代にかけて共同統治の立場となっただけとする説。このような王権の共有は当時のアングロサクソン社会では珍しい事でもなく、2人で南北のマーシアを分割統治していた事は十分ありえる。 ペンダの権力に陰りが見え、ヘヴンフォールドの戦いの時点でのエオワがマーシア王になっていたとする説。エオワはノーサンブリアと関係が深く、同盟者ないし傀儡としてのマーシア王の支配下にペンダがいた可能性がある。ベーダの記述に彼の権力が合計22年間である事がほのめかされており、この時期は権力を保持していた時期ではなかった可能性はある。すなわち彼は権力の座についてから一環とした最高権力者であったわけではなく、ハットフィールド・チェイスの戦いからマザーフィールドの戦いの期間は次席に甘んじていた可能性が指摘されている。
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