ハットフィールド・チェイスの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:00 UTC 版)
「ペンダ (マーシア王)」の記事における「ハットフィールド・チェイスの戦い」の解説
620年から630年にかけて、ウェールズのブリトン人の国グゥイネッズがノーサンブリアと交戦状態にあった。グゥイネッズの王カドゥアソン(英語版)が強力なノーサンブリア王であったエドウィンと戦っていたが、劣勢にあった。そこで彼はペンダと同盟を結び、633年10月にハットフィールド・チェイスの戦いでノーサンブリアを下した。この時ペンダはいまだマーシアの王ではなかった可能性があるが、この時のベーダが彼に特記して記述している事からこの直後には王になったものと思われている。この戦いでエドウィンは戦死、彼の息子のエドフリスはペンダのもとに引き取られた。 この戦いの模様が『アングロサクソン年代記』の一写本に記されている。それによるとペンダとカドゥアソンはノーサンブリア人の住む土地「全土」を略奪したと記されている。ノーサンブリアを敵とするカドゥアソンは王エドウィン亡き後も戦役を続行していたが、同盟者ペンダのそれ以降の関与は分かっていない。 別の資料としてベーダはエドウィンは「異教徒」どもによって殺されたと記している。この『異教徒』とはペンダ率いるマーシア勢の事を言及しているものとされるが、別の視点からこれは敵となったブリトン系キリスト教徒をほのめかした蔑称であった可能性も否定できない。 いずれにせよ戦争を続行したカドワロンはこの1年後のヘヴンフィールドの戦いで戦死してしまうが、これよりも前にペンダは戦線から撤退していたと思われる。その証拠にベーダはこの戦いにはペンダの名を記しておらず、続いてのデイアラ王国(英語版)のオスリックが戦死した攻城戦にも彼の名は登場していない。恐らくはハットフィールド・チェイスの戦いでマーシア国内の地位を確立した彼は王位に就き、自らの地位を安泰にするためにノーサンブリアとの戦争から手を引いたものと考えられている。
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