ブリタンニアの王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 06:17 UTC 版)
紀元前30年頃までに、ブリタンニアでアトレバテス族の王として王権を樹立し、カッレウァ・アトレバトゥム(en、現:シルケスター)にて硬貨を発行した。 コンミウスと彼の支持者はこの王国を発足させたが、紀元前55年にブリタンニアへ侵攻したカエサルがローマ騎兵を連れてこられなかった際に、コンミウスはアトレバテス族の騎兵部隊をローマ軍へ提供し、この時にブリタンニアでアトレバテス族は勢力を形成したと考えられる。 紀元前20年頃まで、コンミウスは名前入りの硬貨を発行し続け、最盛期は父と同じ名前の息子の体制であったかもしれないが、コンミウスがカエサルによって任命された時に若年であったなら、紀元前20年までコンミウス自身が統治していたであろう。 この時期の幾つかの硬貨には「COM COMMIOS」(コンミウスの息子のコンミウスの意味)と印字されており、2人のコンミウスという名の王が在位していた説を支持している。 ティンコマルス、エッピッルス(en)、ウェリカ(en)のアトレバテス族の3人の王は、コンミウスの息子であったことを彼らの硬貨に記している。 紀元前25年頃から、コンミウスはティンコマルスと共同で統治に当たったと表明した。コンミウス死後、ティンコマルスはカッレウァ・アトレバトゥムから北側し、エッピッルスはノウィオマグス・レギノルム(現:チチェスター)から南の部分をそれぞれ統治し、エッピッルスは7年頃に単独の統治者となった。ウェリカは15年頃にエッピッルスの後を継ぎ、皇帝クラウディウス率いるローマ軍がブリタンニアへ侵攻する43年まで統治した。 フランス人のノーベル賞作家であるアナトール・フランスはコンミウスの視線に沿ってベルガエ人のローマ化を記した「Komm of the Atrebates」という作品を残した。
※この「ブリタンニアの王」の解説は、「コンミウス」の解説の一部です。
「ブリタンニアの王」を含む「コンミウス」の記事については、「コンミウス」の概要を参照ください。
- ブリタンニアの王のページへのリンク