ブラザース・フォアとは? わかりやすく解説

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ブラザース・フォア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/30 16:47 UTC 版)

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ブラザース・フォア
The Brothers Four
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ワシントン州シアトル
ジャンル フォーク
ポップ
活動期間 1957年 - 現在
レーベル コロムビアフィリップス、その他
公式サイト Official website
メンバー ボブ・フリック (Bob Flick)
マイク・マッコイ (Mike McCoy)
マーク・ピアソン (Mark Pearson)
カール・オルソン (Karl Olsen)[1]
旧メンバー マイク・カークランド (Mike Kirkland)
ディック・フォーリー (Dick Foley)
ボブ・ハワース (Bob Haworth)
トム・コー (Tom Coe)
ジョン・ペイン (John Paine)
テリー・ローバー (Terry Lauber)

ブラザース・フォア (The Brothers Four) は、1957年ワシントン州シアトルで結成されたアメリカ合衆国フォークソング・グループで、1960年のヒット曲「グリーンフィールズ」 (Greenfields) などで知られている。

経歴

ボブ・フリック (Bob Flick)、ジョン・ペイン (John Paine)、マイク・カークランド (Mike Kirkland)、ディック・フォーリー (Dick Foley) の4人は、1956年シアトルワシントン大学で、フラタニティ(「兄弟」を意味するラテン語「frater」に由来する学生の社交クラブ)のひとつであるファイ・ガンマ・デルタ (Phi Gamma Delta) の仲間として出会った。「ブラザース」つまり「兄弟」というグループ名も、フラタニティの仲間であったことを踏まえたものである。ライバル関係にあった別のフラタニティが彼らに仕掛けた冗談がきっかけで、プロのグループとして活動するようになった。

1959年に、サンフランシスコに拠点を移した彼らは、デイヴ・ブルーベックのマネージャーだったモート・ルイス (Mort Lewis) に出合い、ルイスにマネージャーを引き受けてもらい、その年の遅い時期にコロムビア・レコードとの契約を取り付けた。そうして1960年1月にリリースされた2枚目のシングル盤「グリーンフィールズ」が、ポップ・チャートの2位まで上昇し[2]、年末に出たデビュー・アルバム『Brothers Four』は、トップ20に入った。初期のキャリアの中では、ほかにも、4枚目のシングル盤として発表された、ジョン・ウェイン主演の1960年の映画『アラモ』の使用曲「遥かなるアラモ (The Green Leaves of Summer)」がアカデミー歌曲賞の候補のひとつとなり[3] (受賞作は『日曜はダメよ』の「Never on Sunday」)、これを収録した3枚目のアルバム『魅力のグループ (BMOC/Best Music On/Off Campus)』はトップ10入りをした。ブラザース・フォアは1963年に、ABCのテレビ番組『フーテナニー (Hootenanny)』のテーマ曲として「Hootenanny Saturday Night」を作った。ブラザース・フォアは「スループ・ジョン・B」も取り上げ、「ジョンB号の航海 (The John B Sails)」としてリリースした[4]。ブラザーズ・フォアはピーター・ポール&マリーとともに、60年代前半のフォーク・シーンの人気グループとなっっていった。

ビートルズなどの(第1次)ブリティッシュ・インヴェイジョンボブ・ディランのような、より先鋭的なフォークロックの台頭によって、60年代前半のブラザース・フォア初期の成功は終焉を迎えたが、その後も彼らは演奏活動を継続し、レコードを発表し続けた。特に日本では高い人気を保ち[5]、来日公演もたびたび行っている。一方、アメリカ合衆国ではホテルを回る巡業を続けた。

ブラザース・フォアは、カムバックを期してディランの「ミスター・タンブリン・マン」を録音したが、ライセンス許諾を得られすリリースができなかった。ところが、1965年にこの曲でデビューしたバーズのバージョンが有名になり、ブラザース・フォアはすっかり出し抜かれてしまった[6]

1968年、ブラザース・フォアは、ジェリー・デノン (Jerry Dennon) とともに、オレゴン州シーサイド (Seaside) にAMラジオ局KSWB英語版を設立した[7]。このラジオ局は1972年モンタナ州の事業グループに売却され、その後最終的に”ラジオ局を多数所有するコングロマリット”に吸収合併された。

1969年にマイク・カークランドがグループを離れ、これに代わって、やはりワシントン大学出身のマーク・ピアソン (Mark Pearson) が加入した。ピアソンは1971年に脱退し、代わってボブ・ハワース (Bob Haworth) が加入した。

1979年には第8回東京音楽祭に、日本語曲「時の流れに (As time goes by)」で出場、銅賞を獲得した。この曲は「MR. ロンリーマン (Mr. Lonely Man)」とのカップリングで同年、シングル発売されたほか、アメリカで発売された再録音ベストアルバム「Greenfields & Other Gold」に2曲ともボーナストラックとして追加され、日本向けのベストアルバム「AS TIME GOES BY」として発売されている。東京音楽祭ではスケジュールの都合でペインが参加できず、この時は脱退していたピアソンが代理で参加している。ボブ・ハワースは1989年まで活動したが、その後にマーク・ピアソンが再加入した。

1990年には、ディック・フォーリーが脱退し、代わってテリー・ローバー (Terry Lauber) が加入した。こうしたメンバーの変遷はあるものの、62年のキャリアを重ね、グループは21世紀に入ってからも活動を続けている。

ディスコグラフィ・セレクト

シングル

  • 1960 "Greenfields" - #2[2] #40[8]、ノルウェー#1

[9]

アルバム

  • 1960 The Brothers Four - U.S. #11
  • 1960 Rally'Round
  • 1961 B.M.O.C. (Best Music On/Off Campus) - 米#4:邦題『魅惑のグループ』
  • 1961 Roamin
  • 1961 The Brothers Four Song Book - 米#71
  • 1962 The Brothers Four: In Person - 米#102
  • 1962 The Brothers Four Greatest Hits
  • 1963 Cross-Country Concert - 米#81
  • 1963 The Big Folk Hits - 米#56
  • 1964 More Big Folk Hits - 米#134
  • 1964 Sing Of Our Times - 邦題『風は激しく』
  • 1965 The Honey Wind Blows - 米#118
  • 1965 By Special Request
  • 1966 Try To Remember - 米#76
  • 1966 A Beatles' Songbook (The Brothers Four sing Lennon/McCartney) - 米#97:邦題『ブラザース・フォア/ビートルズを歌う』
  • 1969 Four Strong Winds

[9]

出典・脚注

  1. ^ Brothersfour.com/about”. Brothersfour.com. 2010年10月1日閲覧。
  2. ^ a b Show 19 - Blowin' in the Wind: Pop discovers folk music. [Part 2] : UNT Digital Library”. Pop Chronicles. Digital.library.unt.edu (1969年5月25日). 2010年10月1日閲覧。
  3. ^ “The 33rd Academy Awards (1961) Nominees and Winners”, oscars.org, http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1961 2020年2月1日閲覧。 
  4. ^ “” (2009年4月26日). “Brothers Four on youtube”. Youtube.com. 2010年10月1日閲覧。
  5. ^ プロフィール”. Sony Music Entertainment (Japan) Inc.. 2012年5月26日閲覧。
  6. ^ Cecil Adams (1978年4月21日). “Must you get permission to record someone else's song?”. The Straight Dope. 2010年10月1日閲覧。
  7. ^ “Interview: Bob Haworth”. Jazz Banjo Magazine 7.2. (Fall 2007) 
  8. ^ Roberts, David (2006). British Hit Singles & Albums (19th ed.). London: Guinness World Records Limited. p. 80. ISBN 1-904994-10-5 
  9. ^ a b ブラザース・フォア - Allmusic

関連項目

外部リンク


ブラザース・フォア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 17:19 UTC 版)

花はどこへ行った」の記事における「ブラザース・フォア」の解説

キングストン・トリオ同様、西海岸グループであったブラザース・フォアは、比較早くから何度も来日し日本での人気高かった日本ではピーター・ポール&マリーとともに有名なカバーバージョン一つで、「グリーンフィールズ」と並ぶ彼らの代表曲一つでもある。多くベストアルバム収録されている。また、ピーター・ポール&マリー同様に3番の歌詞取り上げている対象が「若い男」から「夫」に変わっている

※この「ブラザース・フォア」の解説は、「花はどこへ行った」の解説の一部です。
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