ブニュエルとキリスト教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 06:13 UTC 版)
「ルイス・ブニュエル」の記事における「ブニュエルとキリスト教」の解説
ブニュエル映画について語る上でキリスト教は避けて通れない話題である。少年時代に厳格なイエズス会の学校に通わされた反発と、アナーキーなシュールリアリズムからの影響で、ブニュエルは自分のことを筋金入りの無神論者と自称しており(彼の言葉:今日まで無神論者でいられたことを神に感謝する)、『黄金時代』や『ビリディアナ』はキリスト教を茶化しているとされて上映禁止にまでなっているが、彼の映画作品上でのキリスト教の取り上げ方は複雑で一筋縄ではいかないところが多数出てくる。 例えば歴史上実在した柱頭修行者聖シメオンを描いた『砂漠のシモン』では最後にシモンが悪魔の誘惑に負けるので反キリスト教的作品と見ることは可能だが、純粋な行者であるシモンに対する悪意を映画の中に感じることはできない。また、メキシコ時代には純粋無垢な神父を描いた『ナサリン』という作品は、アメリカのカトリック教会から賞も貰っている。「純粋無垢な神父」を描くことでカトリックを揶揄したのか賞賛しようとしたのか、ブニュエルの真意は一筋縄では捉えられないのだが、相反する感情を抱いていたと考えるのが妥当と思われる。『銀河』に至ってはキリスト教の異端事典を元に脚本が書かれている。
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