ブッシュレンジャーへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 13:46 UTC 版)
「ネッド・ケリー」の記事における「ブッシュレンジャーへ」の解説
1878年4月、警官のフィッツパトリックがケリー一家を訪問する。ネッドの弟、ダン・ケリーの馬泥棒への関与を疑ってのものだったが、ケリー一家にとって警官の来訪はすでに慣れたことであり、食卓に誘ってフィッツパトリックをもてなした。しかし、若い警官はネッドの妹をからかいだし、ついには卑猥な言葉をかけ始めた。母エレンはそれを止めようとし、小競り合いは喧嘩となり、最後にはネッドが警官を家からたたき出した。しかしネッドに投げ飛ばされた際、フィッツパトリックが手を負傷し、翌日には警官隊がケリー一家を包囲する事態に発展する。その時、すでにネッドとダンの兄弟は逃げ去っており、逮捕されたのは家にいた母エレンのみだった。だがその容疑は、単なる警官暴行よりも罪の重い「ピストルによる警官への射撃」であり、ケリー一家は事実ではないと主張したが母親は有罪判決を受け、兄弟の罪も確定する。逮捕を逃れたネッドとダンは茂み(ブッシュ)に逃げ込み、ジョー・バイアン、スティーブ・ハートらのブッシュレンジャーに加わる。この時より、ネッドの「権力に対する反抗」という行動原理が鮮明となっていく。 警察はブッシュに逃げ込んだケリー兄弟とその仲間を捕らえるため、四人の警官を派遣する。しかし、二人ずつ二手に別れて探索する彼らを先に発見したのはケリー兄弟であり、彼らはまず二人を包囲して降伏を迫った。この降伏勧告を一人は受け入れたが、もう一人は銃を抜いたためにネッドに射殺された。残る二人もネッドたちは待ち伏せした上で降伏を促したが、今度は二人とも反撃してきたためにこれも射殺した。この銃撃戦の間に降伏していた警官が逃亡して、ネッドたちの反抗が報告される。追われて止む無くとはいえ、警官三人殺しの罪状となったネッドには500ポンドの賞金が掛けられた。
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