フリードリッヒ・フォイト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/18 03:10 UTC 版)
「フォイト」の記事における「フリードリッヒ・フォイト」の解説
フリードリッヒ・フォイト(Friedrich Voith、1840年 - 1913年)もまた発明家で、ウーインゲン(Uhingen)の製紙工場向けに独自の木材粉砕装置を設計・製造し、当初のRaffineurの設計改良を行った。1869年に新しい設計に関して最初の特許を取得している。新しいパルプ処理装置はさらに紙の質を向上させ、大規模な量産を可能にして、近代的な新聞発行の礎を築いた。 ほぼ同時期にフリードリッヒは水力タービンの研究を開始し、1870年に最初の製品を納入した。1873年には最初のフランシス水車を製造し、またウィーン万国博覧会で彼の発明に対して功績メダルを受賞した。それ以降、フォイトでは製紙機械の個々の部品の生産に留まらず、さらなる方面へ進出することを決断した。1881年にJ. M. フォイト機械工場(Machinenfabrik J. M. Voith)という新しい製造工場を建設し、またドイツ・ゲムリッヒハイム(Gemmrigheim)の顧客、Raitelhuber, Bezner & Cir.に最初の一貫製紙機械を納入した。 19世紀頃には、フリードリッヒはヨーロッパ中から全世界を飛び回って新しい契約を取って回っていた。フォイトは製紙プロセスのあらゆる分野で用いられる機械を提供しており、この分野のマーケット・リーダーであった。彼の成果により、ヴュルテンベルク王のカール1世は1890年にフォイトを経済委員会のメンバーに加えた。またフリードリッヒは1903年にオーストリアのザンクト・ペルテンに最初の子会社を設立した。1913年にフリードリッヒが死去した時点で、彼のハイデンハイムとザンクト・ペルテンの工場では、彼自身の3人の息子、ヴァルター、ヘルマン、ハンスを含めて3,000人を超える人々が働いていた。
※この「フリードリッヒ・フォイト」の解説は、「フォイト」の解説の一部です。
「フリードリッヒ・フォイト」を含む「フォイト」の記事については、「フォイト」の概要を参照ください。
- フリードリッヒ・フォイトのページへのリンク