フランス帝国の成立
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「フランス第一帝政」の記事における「フランス帝国の成立」の解説
『1804年5月18日元老院決議』によって、軍人ナポレオン・ボナパルト終身第1統領は皇帝に即位し、「フランス共和国第1帝政」が生じていた。国民投票が11月におこなわれ、その国民投票の過半数の賛成の結果、ナポレオン・ボナパルト終身第1統領がフランス共和国の皇帝に即位したことが追認された。12月には皇帝ナポレオン1世の戴冠式がおこなわれた(フランス皇帝)。 ナポレオン政権は統領政府時代から一貫して、ナポレオンの天才的な軍事的才能を後ろ盾とした軍事国家であり、ナポレオン・ボナパルトの存在と、彼が戦争に勝ち続ける事が、政権存続の絶対条件であった。イギリス、オーストリア、プロイセン、ロシア等のヨーロッパ列強から見ればフランス帝国の成立は、ナポレオンの絶対化と権力強化以外の何物でもなく、革命が自国へ及ぶ恐怖に加えて、軍事面での脅威も加わることになった。列強各国は早速対仏大同盟を結成して、帝国への対抗を始めた。一方でフランス国内においては、皇帝の誕生によるフランス帝国の出現は、フランス革命によって国王ルイ16世を処刑し共和制を打ち建てた過程から完全に逆行しており、国内の親ジャコバン派の反発を招いた。
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