フランス共和国臨時政府とフォンテーヌブロー会談
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「フランス第三共和政」の記事における「フランス共和国臨時政府とフォンテーヌブロー会談」の解説
1944年8月9日、フランス共和国臨時政府は、ヴィシー政権が発した命令の無効を宣言し、第三共和政の破棄を決めた諸法令も無効化された(本国における共和国の法律回復を宣言する1944年8月9日布告、fr)。臨時政府はヴィシー政権の存在を否認し、第三共和政が存続していたという建前を取っていたものの、新憲法制定によって新たな共和政をスタートさせることにした。8月20日にシャルル・ド・ゴールが閣僚評議会議長に就任。8月25日パリは解放された。同日、ジョルジュ・ビドーが外相に任命された。 ヴィシー政権関係者の粛清「エピュラシオン」が実施され、1945年10月15日にピエール・ラヴァル元首相らが銃殺された。 10月21日に戦後初の選挙(フランス語版、英語版)が実施され、モーリス・トレーズ率いるフランス共産党が第一党となった。1946年1月20日に突如ド・ゴールが辞任し、1月26日にフェリックス・グーアン(フランス語版、英語版)が閣僚評議会議長に就任。フランスは、2月28日と3月6日にベトミンと予備協定のハノイ暫定協定(ベトナム語版、フランス語版、英語版)を締結した。6月24日にジョルジュ・ビドーが閣僚評議会議長となり、6月から9月までフランス本国のフォンテーヌブローでフォンテーヌブロー会談(ベトナム語版、フランス語版、英語版)が行なわれたが、ド・ゴールのいないフランスにはブラザヴィル会議での約束を守ろうという者はおらず、会談は決裂した。
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