フラミンゴ権益の取得経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 08:53 UTC 版)
「ベンジャミン・シーゲル」の記事における「フラミンゴ権益の取得経緯」の解説
マフィアの入る前から小ぶりなカジノタウンだったラスベガスは、1931年のネバダ州の賭博合法化以後に作られた地元経営者のカジノホテルの営業が良好だった為、さらなる投資の気運が高まっていた。ネバダで適当な場所を探していたランスキーが、1941年頃からモー・セドウェイら配下にラスベガスの小さな賭博クラブの経営に参画させ、地歩を築いたのが始まりで、1945年3月、本格カジノホテルの草分けとされるエル・コルテスに経営参加し、結果は成功した。こうした下地があって、ランスキーは、たまたま資金不足で建設を中断していた実業家ビリー・ウィルカーソンのホテル資産(のちフラミンゴホテルと命名された)に目を付けた。1945年11月にホテル建設を開始したウィルカーソンが、カジノを任せようとエル・コルテスからモー・セドウェイとガス・グリーンバウムを引き抜いたのが発端だったとされる。ウィルカーソンは建設予算120万ドルに対して銀行から60万ドル、ハワード・ヒューズから20万ドルの計80万ドルを借り、残りは賭博で稼ごうと大金を注ぎ込み、逆に20万ドルの借金を作って建設中止を余儀なくされた。ウィルカーソンの構想はゴージャスな部屋とスパ、フィットネス、高級レストラン、ナイトクラブ、ジュエリーショップなどを備えたヨーロッパスタイルの豪奢なカジノホテルだった。ニューヨークマフィア(以下組織と呼ぶ)から投資金を集めたランスキーは、1946年2月、残りの建設費を全部負担するという条件で3分の2の権益を100万ドルで買い取り、シーゲルを呼び込んで建設責任者に、モー・セドウェイをアシスタントに据えて建設を再開した(当時の100万ドル≒約1200万ドル@2015年)。ランスキーのお抱え弁護士ハリー・ロスバーグが契約実務を進め、プロジェクトの受け皿にネバダ・プロジェクト・コーポレーションを設立した。契約ではウィルカーソンがオペレーターの権利を保持する条件だったが、建設が進むうちに骨抜きにされた。
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