ピーター・ハーディック
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「ウィリアムズポート (ペンシルベニア州)」の記事における「ピーター・ハーディック」の解説
製材業で栄えたウィリアムズポートは数多くの百万長者を生んだが、中でも後世にその名を残したのはピーター・ハーディックであった。ハーディックは1824年にニューヨーク州フォートプレイン(同州アムステルダム近郊)で生まれ、1846年にライカミング郡に移り住んでこの地で製材を始め、製材で財を成した。やがてハーディックはペンシルベニア州有数の富豪となり、州北部における製材業の申し子として見られるようになっていった。 ハーディックはウィリアムズポートにおける交通機関の整備に大きな影響を及ぼした。ハーディックは「ハーディック・キャブ」と呼ばれる交通機関を生み出した。これは、車内の両サイドに席を設け、後ろから乗降車させる二輪の馬車で、小型のバスに近いものであったが、現代のタクシーの原型となったものであると考えられている。また、現在「ミリオネアズ・ロウ」と呼ばれている通りの開発も、ハーディックが主導して行ったものであった。ハーディックは高名な建築家を呼び、自らの所有していたウェスト4thストリート沿いの土地に邸宅をいくつも設計・建設させた。現存する建物のうちの1つには、1865年に建てられたハーディック・ハウス・ホテルがある。また、ハーディックは博愛主義者としても知られ、ウィリアムズポート市内のいくつもの教会に多額の寄付をした。 しかし、1873年の不況の影響を受け、ハーディックは1878年に破産した。その後ハーディックは事業を再興させ、州内のセリンズグローブ(サンベリー近郊)やハンティングドン、イリノイ州カイロで水道会社の設立を主導した。ハーディックは1888年、ハンティングドンの水道会社視察中に氷上で滑って転倒し、脳震盪で死去した。
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