ビル建設までの流れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 09:04 UTC 版)
「イオン鹿児島中央店」の記事における「ビル建設までの流れ」の解説
当ビルの建設が決まったのは1980年代まで遡る。西鹿児島駅東口十番地区市街地開発準備組合が再開発ビルの核テナントにユニードを誘致することが決定したのが始まりである。全フロアにユニードが出店することが決まっていた。 同年3月には、再開発組合(以下、地元組合と記す)を設立し、1990年早々に着工し1991年の開業を目標としていた。 ところが事態は急変する。鹿児島商工会議所で開かれた商業活動調整協議会の結審で再開発ビルの店舗面積を、他の大型ショッピングセンターとのバランスを考慮しなけれはならないこと、同地はユニードが所有する鹿児島店(ユニードダイエーを経て、現:ダイエー鹿児島店)に近い為、連携が取れる等を理由に売場面積を9200㎡削減され、開店予定日を1992年5月以降が妥当との結審が下ったのである。 年月は過ぎ1992年、地元組合側が一部地権者の同意を得るのに苦戦を強いられている間にバブル崩壊の後遺症となって景気が低迷。当初、見込んでいた建設費が急激に上がり、ユニードは地元組合側に再考を求めたのに対し、地元組合側は同年に計画していた着工を半年延期を決定した。 1993年9月には、全フロアの出店を決定していたユニードが景気低迷による採算面の不安から全フロアの出店を断念し地下1階-5階までを出店する事を発表。1994年から、長らく交渉を重ねてきたユニードがダイエーに吸収合併されたことに伴いダイエーとの協議が始まった。 1995年にユニードが決定した出店フロア及び出店面積の縮小を両者間で合意、出店を断念したフロアは両者が共同出資して設立したビルの運営会社によってテナントを探す方法を取ることとなる。この時、建物のイメージがまとめられ、ダイエーショッパーズ福岡店をモデルとした店舗となることが明らかとなった。 しかし、1996年にダイエーと地元組合との意見が食い違い対立。地元組合側は、直ちに着工したいとの考えからダイエーに早急に店舗収得費を含んだ32億円を早急に支払うよう鹿児島地方裁判所に仮処分申請するまでに至ってしまう。これにより両者の関係が悪くなり、着工が更に遅れた。
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