ビュート侯爵との共同事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:52 UTC 版)
「ウィリアム・バージェス」の記事における「ビュート侯爵との共同事業」の解説
バージェス(左)とビュート、バージェスはエドワード・ウィリアム・ゴッドウィンによる1875年の絵画 1865年バージェスは第3代ビュート侯爵ジョン・パトリック・クライトン=ステュアートと出会った。このことは、アルフレッド・バージェスの土木工事会社ウォーカー・バージェス・アンド・クーパーが、1855年に第2代侯爵のためにカーディフのイースト・ビュート・ドックを引き受けたことから生じた可能性がある。第3代侯爵は建築家としてのバージェスにとって最大のパトロンとなった。両人ともに同じ世代であり、その父達が行った事業によりその息子達が建築的業績を挙げるための手段を提供しており、両人とも「産業主義の悪を、中世の美を復活させることで補う」ことを求めていた。 ビュートは1歳の時に侯爵家を継承して、年間30万ポンドの遺産を相続し、バージェスと出会った時までに、仮に世界ではないとしてもイギリスでは最も裕福な人と考えられていた。ビュートの冨は共同事業の成功にとって重要だった。バージェス自身が「良い芸術は全く希なものであり、安さよりも遙かに貴重なものである」と記していた。ビュートは学者、古物収集家、強迫的建設者、かつ熱狂的中世信奉者であり、マクリーが「ビュートの最も記憶される全体業績」と考えるものを生みだすバージェスの天才性と組んだ、その関係、資源と興味に金以上のものをもたらした。 カーディフ城とカステル・コックの驚異を生みだした貴族パトロンと才能ある建築家の共同事業の第一級事例 ディクソンとマセシウスがバージェスとビュートの関係を説明したもの いずれにしても、この関係はバージェスの余生の間も続き、その最も重要な作品に繋がっていった。侯爵とその妻にとって、バージェスは「魂に息を吹き込むもの」だった。建築学の著作家マイケル・ホールはバージェスがカーディフ城を再建したことと、市の北にあるカステル・コックの廃墟再建を完成させたことを、その最高の業績を表していると考えている。これらの建物で、クルックは、ホールが「これまでになされたゴシック復古調建築の中でも最も素晴らしいもの」と表現した「建築的空想世界」にバージェスが逃げ込んだと主張している。
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