パールの個別反対意見書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:06 UTC 版)
「極東国際軍事裁判」の記事における「パールの個別反対意見書」の解説
「ラダ・ビノード・パール#東京裁判における主張 (パール判決書)」および「パール判決論争」を参照 イギリス領インド帝国の法学者・裁判官ラダ・ビノード・パール判事は判決に際して判決文より長い1235ページの「意見書」(通称「パール判決書」)を発表し、事後法で裁くことはできないとし全員無罪とした。この意見は「日本を裁くなら連合国も同等に裁かれるべし」というものではなく、パール判事がその意見書でも述べている通り、「被告の行為は政府の機構の運用としてなしたとした上で、各被告は各起訴全て無罪と決定されなければならない」としたものであり、また、「司法裁判所は政治的目的を達成するものであってはならない」とし、多数判決に同意し得ず反対意見を述べたものである。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}パールは1952年に再び来日した際、「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とのコメントを残している[要出典]。彼自身は、ヒンズー法哲学を博士号論文としており、判決の思想・価値観にその影響が色濃く反映しているとみる見方もある。 また、パール判決に関する論争として中島岳志、小林よしのり、牛村圭らによるパール判決論争がある。
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