パリ天文台での実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 16:19 UTC 版)
「フーコーの振り子」の記事における「パリ天文台での実験」の解説
フーコーは、パリ天文台の台長であったフランソワ・アラゴに公開実験を申し出た。アラゴは申し出を受けいれ、フーコーはただちに準備に取りかかった。実験場所はパリ天文台の中央ホールである「子午線ホール」となった。錘は自宅での実験と同じもの(5kg)を、弦は長さ11mのワイヤーに変更した。 フーコーはパリ在住の科学者に以下の内容の招待状を送った。 Vous êtes invités à venir voir tourner la Terre, dans la salle méridienne de l Observatoire de Paris. (地球の自転を見に来られたし、パリ天文台の子午線ホールにて。) 1851年2月3日、多くの科学者たちがパリ天文台に集まり、実験に立ち会った。またフーコーは同日、科学アカデミーに対して、自宅の地下室で行った実験の結果と地球の自転の証明に関する論文を報告した。この中で「フーコーの正弦則」を使い、振り子のある緯度と振り子の振動面の関係について明らかにした。 フーコーの実験は驚きをもって迎えられた一方で、招かれた科学者たちには「フーコーの正弦則」に目新しい点は無いという考え方が多数派であった。例えば、1851年3月16日、ジョヴァンニ・プラーナは「(フーコーの正弦則は)1837年にシメオン・ドニ・ポアソンが発表した論文「投射物の運動について」において、「(フーコーの振り子の現象は)すでに予測された範囲である」との論文を投稿した。ポアソンは大砲から打ち出された弾は、地球の自転により、わずかに横にずれるはずだと考え理論式を構築していた。またポワソンは地球の自転が振り子にも影響を及ぼすが、観察することは困難だと考えていた。
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