パリ大会でのフライング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/04 10:11 UTC 版)
「ジョン・ドラモンド (陸上選手)」の記事における「パリ大会でのフライング」の解説
2003年に行われた世界陸上パリ大会では、ドラモンドはすでに35歳になっており、その年の短距離のレベルが低かったことから、個人種目で初のメダルを獲得する残り少ないチャンスだった。そのため、この大会に懸けるドラモンドの意気込みは人一倍強かった。そんなドラモンドには、身に覚えのないフライングでの失格という結果は到底受け入れられなかったため、強く抗議した。 後に公開されたその時のスターティングブロックにおける圧力の記録データから、ピストルがなる前からの足のぐらつきに機械が反応して、フライングと判定されたことが判明した。 2003年から「同じ人間が2度不正スタートをしたら失格」から「1度不正スタートがあった後は誰が不正スタートをしても失格」というようにルールが変わっており、2003年以前であれば失格となることはなかった。サブトラックで泣き崩れるドラモンドの様子が競技場内のスクリーンに映し出されたことで、さらに観客の同情を買い、ドラモンドが走る予定だった組のレースの時には、場内に大ブーイングが巻き起こり、何度もスタートのやり直しが行われた。このため、競技時間が大幅に遅れた。
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