パリ・オペラ座バレエ入団後
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「リュドミラ・パリエロ」の記事における「パリ・オペラ座バレエ入団後」の解説
パートタイム契約でパリ・オペラ座バレエの『イワン雷帝』公演に出演したが、その公演が終わると同時にシーズン末まで契約が延長された。2004年に再びオーディションに参加し、またしてもフルタイム契約は得られなかったが、コール・ド・バレエに欠員が出た時の補充要員(surnuméraire)の契約をオファーされた。しかし、パリ・オペラ座バレエのほぼすべての団員はパリ・オペラ座バレエ学校の卒業生であり、卒業生でないパリエロは溶け込むのに苦労を感じることになった。 2005年には三度オーディションに参加し、ついにフルタイム契約を勝ち取った。その後、オーレリー・デュポンの助け(パリ・オペラ座バレエでは上位のダンサーと組んでトレーニングするのが一般的)を借りて昇進を重ね、26歳で2番目に高位のプルミエ・ダンスーズに昇った。また、2009年には「クラシック音楽」部門でコネックス賞を受賞した。 2012年3月、ルドルフ・ヌレエフ版『ラ・バヤデール』の公演と映画館での中継上映が計画されていたが、ガムザッティ役のドロテ・ジルベールとその代役がともに負傷してしまった。2年間、影ながらこの役を演じていたパリエロに急遽代役の白羽が立てられたが、ソロル役のジョジュア・オファルトとニキヤ役のデュポンとの簡単なリハーサルだけで舞台に立つことになった。その公演の最後に、芸術監督から「パリエロが示した才能と芸術的勇気」のために、最高位であるエトワールに昇進させると発表された。これにより、パリエロは史上初の南米出身のエトワールとなった。また、パリ・オペラ座バレエ学校を卒業せずにエトワールとなったのも史上初のことである。 現在はボリショイ劇場やマリインスキー劇場など国際的に著名な劇場への客演もこなしている。
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