パラリンピックからオリンピックへの挑戦
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「オスカー・ピストリウス」の記事における「パラリンピックからオリンピックへの挑戦」の解説
北京オリンピックに400mで出場を目指していたが、国際陸上競技連盟(IAAF)はカーボン製の義足による推進力が競技規定に抵触するとしてこれを却下。2008年5月16日、スポーツ仲裁裁判所(CAS)はIAAFの判断を覆し、ピストリウスが健常者のレースに出場することを認める裁定を下す。参加標準記録(A標準45秒55、B標準45秒95)を突破すればオリンピックに出場できた。突破できなくても、1600mリレーのメンバーに入れば出場は可能だった。 2008年7月16日、スイスで行われた競技会で400mに出場し、自己ベストとなる46秒25を記録したが、五輪参加標準記録を突破できず同種目での北京オリンピック出場を逃した。さらに同月18日、南アフリカ陸上競技連盟(英語版)は、4×400mリレーでのピストリウスの不選出を発表。悲願の北京オリンピック出場は果たせなかった。 2008年9月、北京パラリンピックにて100m、200m、400mに出場、金メダル三冠を達成した。 2011年、韓国で行われた世界陸上競技選手権大会に、健常者と共に出場する。ピストリウスは8月29日、400mに出場し、準決勝まで進んだが、そこで敗れ決勝には進めなかった。準決勝のタイムは46秒19で、自己ベストより1秒以上遅かった。9月2日には、4×400mリレー決勝が行われ、南アフリカは銀メダルを獲得した。ピストリウスはこの決勝には出場しなかったが、予選には走者として出場しており、規定によりピストリウスにも銀メダルが贈られた。 その後、陸上の400mでは2011年7月に45秒07、2012年3月17日に45秒20といずれもオリンピックA標準記録をクリアする結果を残しており、ロンドンオリンピック出場へのチャンスが残っていた。
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