パナマ議会の失敗と内部対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 21:12 UTC 版)
「大コロンビア」の記事における「パナマ議会の失敗と内部対立」の解説
ボリバルの理想は南米に統一的な大国家を建設することだったが、武力による領土拡大を是とする思想は持っていなかった。ボリバルは南北アメリカの独立国を招請して1826年にパナマ議会(スペイン語版、英語版)を開いた。ボリバルは対スペイン戦争と統合問題について合意を取り付けたいと考えていたが、他の諸国はコロンビアの強大化を望まなかったため、メキシコ、コロンビア、中央アメリカ連邦、ペルーの四国のみしか集まらず、米州への再植民地化の動きへの共同防御、将来的な統一といった課題への合意は果たすことができなかった。 それどころか、コロンビア内部において分離の動きが加速した。国内では中央集権を望むボリバルと、分権化を求める副大統領フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデルの対立が深まった。集権・分権の争いには、人種・階級的な問題も関係していた。ボリバルが考える奴隷制廃止や平等主義は、地方の有産者の反感を買っていたが、そうした思想に正面から反対することは難しかった。分権化すれば権力が地方有力者に回収され、寡頭支配を続けることができると考えられた。また、ベネズエラでは遠く離れたボゴタの風下に立つことを望まない人々が不満を抱いた。
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