パウラ・パレトとは? わかりやすく解説

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パウラ・パレト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 08:19 UTC 版)

獲得メダル

パウラ・パレト
アルゼンチン
柔道
オリンピック
2016 リオデジャネイロ 48kg級
2008 北京 48kg級
世界柔道選手権
2015 アスタナ 48kg級
2014 チェリャビンスク 48kg級
2018 バクー 48kg級

パウラ・ベレン・パレトPaula Belén Pareto 1986年1月16日- )は、アルゼンチンブエノスアイレス州サン・フェルナンド出身の医師柔道家。階級は48kg級。身長150cm[1][2]ブエノスアイレス大学医学部に入学すると[3]、2014年1月には医師の資格を得た[4]

人物

柔道は9歳の時に始めた。2008年の北京オリンピックでは準々決勝で谷亮子に指導1で敗れるが、その後の3位決定戦で北朝鮮のパク・オクソンを技ありで破って銅メダルを獲得した[1]。2010年の世界選手権では準々決勝で福見友子と対戦して、先に有効2つを取りながら終盤に小内刈で逆転負けを喫して7位に終わった。2011年の世界選手権には出場しなかった。ロンドンオリンピックでは準々決勝で福見に指導2で敗れると、3位決定戦でもベルギーのシャルリーヌ・ファンスニックに指導2で敗れて5位に終わり、前回に続くメダル獲得はならなかった[1]。2014年の世界選手権では決勝で近藤亜美に指導2で敗れたものの2位になった[5]。2015年の世界選手権でも決勝まで進んで元世界チャンピオンの浅見八瑠奈と対戦すると、指導1を先取されながら後半指導2を取り返して逆転勝ちを果たして、2003年の世界選手権63kg級で優勝したダニエラ・クルコウェル以来、アルゼンチンの選手として2人目の世界チャンピオンになった[6]。さらには世界選手権での優勝が評価されて、2015年のアルゼンチンにおける最優秀スポーツ選手にサッカーのリオネル・メッシなどを押しのけて選ばれた[7]。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは準決勝で近藤を袖釣込腰の技ありで破ると、決勝でも韓国の鄭普涇小内刈の技ありで破って金メダルを獲得した[8]。2017年の世界選手権には出場しなかった[2]。2018年の世界選手権では準決勝でウクライナのダリア・ビロディドに技ありで敗れるも3位になった[9]。2019年にはグランドスラム・エカテリンブルグとパンナム選手権で優勝するも、グランプリ・モントリオールでは自らより15歳若い古賀若菜に反則負けして3位だった[2]。2021年7月に日本武道館で開催された東京オリンピックでは準々決勝で渡名喜風南腕挫十字固で敗れると、敗者復活戦でも敗れて7位に終わった[10]。東京オリンピックの開会式で、アルゼンチン選手として史上初のオリンピック旗を運ぶ6名のうちの一人として入場した。9月には現役引退を表明した[11]

主な戦績

(出典[2]、JudoInside.com)

脚注

外部リンク




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