バルチック艦隊勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/07 01:10 UTC 版)
「イワン・シェスタコフ」の記事における「バルチック艦隊勤務」の解説
1850年、間を置いて1852年から1854年までロシア政府の命を受けて、艦艇の造船術研究のため、イギリスを訪問している。1854年2月、帰国と同時に蒸気船委員会所属となり、さらに二階級昇進し海軍大佐、バルチック艦隊勤務となった。 この頃、クリミア戦争が勃発するが、シェスタコフは戦争中、フリゲート艦「リューリク」に乗艦しクロンシュタット軍港の警備、哨戒に当たった。1855年5月21日皇族将官付き副官に任命される。クリミア戦争初年には75隻の快速砲艦、17隻の高速コルベット建造計画を立案した。 1856年一等大佐に昇進し、アメリカへ派遣された。シェスタコフは70隻のカノン砲装備の快速砲艦「ゲネラル・アドミラル」建造計画を腹案として持っており、この計画の実現可能性を探るべく、アメリカで造船技術を調査するため渡米した。 1859年シェスタコフの指揮の下、フリゲート艦「ゲネラル・アドミラル」は12日間の公試運転を実施した。ゲネラル・アドミラルは、シェルブール港を経て、クロンシュタットに到着した。公試に成功した功績により、功三級聖ウラジーミル勲章を授与された。 1860年から1862年まで、地中海小艦隊(戦隊)司令に就任した。この戦隊の任務は、シリア沿岸まで進出し、現地のキリスト教徒をオスマン帝国から保護することを名目としていた。1861年4月23日に海軍少将に昇進した。クロンシュタット帰還後、功一級聖スタニスラフ勲章を授与された。1863年4月17日クロンシュタット軍港総司令官補佐に任命される。1863年から1864年までペテルブルク科学造船委員会に所属している。
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