バリアと山脈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:25 UTC 版)
「アムンセンの南極点遠征」の記事における「バリアと山脈」の解説
アムンセンは再度出発することに熱心だったが、10月半ばになって春の訪れを感じさせるまで待った。10月15日には出発できる状態だったが、天候のためにさらに数日間遅らされた。10月19日、隊員5人、橇4台、犬52頭が旅を始めた。天候が直ぐに悪化し、濃い霧の中で前年秋にヨハンセンの補給所設置隊が発見したクレバス原に迷い込んだ。ウィスティングは後に、足元の雪橋が崩れて、その橇がアムンセンを載せたままクレバスに飲み込まれそうになった様子を回想していた。 このように災難に近いものがあったが、隊は1日に15海里 (27 km) 以上進んだ。南緯82度の補給所には11月5日に到着した。その経路の3マイル (5 km) 毎に雪のブロックで作ったケアンで印をつけた。11月17日、バリアの縁に到達し、南極横断山脈に直面した。シャクルトンが開拓したベアドモア氷河を進むことにしたスコットとは異なり、アムンセンはこの山脈を抜ける独自のルートを開拓する必要があった。数日間その麓を探り、約1,500フィート (460 m) 登った後、隊ははっきりした経路と見られるものを発見した。それは険しい長さ30海里 (56 km) の氷河を上り、上の台地に繋ぐものだった。アムンセンはこれを、資金的に主要な後援者の1人にちなんで、アクセル・ハイバーグ氷河と名付けた。そこは隊員が予測したよりも厳しい登りだった。回り道をする必要があったためにかなり長くなり、また雪は深く柔らかだった。3日間苦労して上った後に氷河の頂点に達した。アムンセンはその犬達を手放しで褒め、そのような条件では働けないだろうと思っていたことを冷笑した。11月21日、隊は17海里 (30 km) 進み、5,000フィート (1,500 m) 登った5,000フィート (1,500 m).。
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